戦慄の王女

リリース
1973年7月13日
1973年9月4日
1974年3月25日
録音
日時
1971年12月、1972年6月~11月
スタジオ
デ・レーン・リー・スタジオ、トライデント・スタジオ
チャート最高順位
全英
24位
全米
83位
日本
52位

曲目リスト
1炎のロックン・ロール – Keep Yourself Alive
2ドゥイング・オール・ライト – Doing All Right
3グレイト・キング・ラット – Great King Rat
4マイ・フェアリー・キング – My Fairy King
5ライアー – Liar
6ザ・ナイト・カムズ・ダウン – The Night Comes Down
7モダン・タイムス・ロックン・ロール – Modern Times Rock’n Roll
8サン・アンド・ドーター – Son and Daughter
9ジーザス – Jesus
10輝ける7つの海(インストゥルメンタル) – Seven Seas of Rhye…

アルバムリリースまでの経緯

1968年、ブライアン・メイとロジャー・テイラーはスマイルというバンドで活動していました。
ボーカルは、ブライアン・メイのハンプトン・グラマー・スクールの同級生のティム・スタッフェル。
ティム・スタッフェルはバンドではリードボーカルとベースと担当していました。
ティム・スタッフェルはイーリング・アート・カレッジで知り合った友人のフレディー・マーキュリーを、スマイルのメンバー2人に紹介。フレディー・マーキュリーはスマイル音楽を大変気に入り、大ファンとなります。
スマイルは、自身のバンド活動の他に、ジミ・ヘンドリックスやピンク・フロイドの前座やサポートを務めるなど精力的に活動をしていたが、音楽性の違いによりティム・スタッフェルが脱退することとなりました。


smile時代のティム・スタッフェル

ティム・スタッフェルの後任のボーカリストとして、フレディー・マーキュリーが加入したことで、新生クイーンの第一歩が始まります。その後オーディションにより、ジョン・ディーコンが加入し、クイーンのオリジナルメンバーの4人が揃い、クイーンが結成されます。

ちなみに、ジョン・ディーコンが採用された要因は、ベースの腕前と、温厚かつ謙虚な人柄、機械に強かったからだと言われており、個性の強い他3人のメンバーだけでは成立しなかったバンドの緩衝材のような役割を担っており、クイーンのバンドにとって必要不可欠な人選だったのではないかと思います。

クイーンがクイーンと名乗り始めたのは1970年7月12日のライヴからと言われているため、クイーン結成から3年後に生まれたファースト・アルバムといえる。

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